その常連客、スタッフを奪っていないか|2026年10月カスハラ義務化と飲食店の備え

2026.04.27

「うちの常連さんだから、まあ仕方ない」 「ちょっと言い方がきついだけで、悪い人じゃないんだ」

— その判断が、明日あなたの店から一人のスタッフを奪うかもしれない。

「クレーム対応」という言葉で片付けていないだろうか

飲食店を経営されている方なら、肌感覚でご存じのことと思う。

料理提供が5分遅れただけで30分の説教が始まる。オーダーミスを認めて謝罪しているのに「土下座しろ」と詰め寄られる。SNSに店の名前とスタッフの顔写真を晒すと脅される。「お前じゃ話にならない、社長を出せ」で2時間拘束される。

こうした光景は、今や珍しいものではない。むしろ、人手不足に悩む現場で静かに、しかし確実に、優秀な人材を削り取っている。

だが私は、飲食店経営者の皆さまに問いたい。これを「クレーム対応の問題」として処理してきた判断こそが、本質を見誤っているのではないだろうか。

単なる接客トラブルの話ではない ― 2026年10月、法的義務の時代へ

2025年6月4日、改正労働施策総合推進法が成立した。2026年10月1日から、事業主にカスタマーハラスメント防止のための雇用管理上の措置を講じることが法的に義務付けられる。

対象は、労働者が1人でもいるすべての事業主。つまり、家族経営の小さな居酒屋から全国展開のチェーンまで、例外なく対象となる。

さらに、2026年2月には農林水産省が「飲食店向けカスタマーハラスメント対策ガイドライン」を公表し、飲食業に特化した判断基準と対応方法を明示した。カスハラを以下の7類型に整理している。

出典:農林水産省「飲食店向けカスタマーハラスメント対策ガイドライン」(2026年2月) 👉 https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gaisyoku/kasuhara_taisaku.html

義務化される3つの措置 ①事業主の方針等の明確化およびその周知・啓発 ②相談(苦情を含む)に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備 ③カスハラへの事後の迅速かつ適切な対応

この義務に違反した事業主は、報告徴求、助言、指導、勧告、そして企業名公表の対象となる。飲食店にとって、店名公表のダメージが経営にどう響くかは、改めて説明する必要もないだろう。

「毅然と対応する」だけでは、本質を見誤る

ここで多くの経営者が考える。「じゃあ、うちもマニュアルを作って、スタッフに毅然と対応させよう」と。

だが、この発想こそが氷山の一角だ。本当の問題は、その先にある。

考えてみてほしい。現場でカスハラに対峙するのは、時給1,200円のアルバイトや、入社半年の若手スタッフだ。その人に「毅然と対応しろ」と丸投げすることが、果たして「対応」と言えるだろうか。

私がクライアントデータから導いている、仮説と検証に基づいた実感だ。カスハラ対策の成否を分けるのは、「現場が一人で抱え込まない仕組み」を経営側が作れるかどうかにある。 具体的には、次の3層構造が機能しているかどうかだ。

  1. 経営者の意思表明層:カスハラには屈しない、という方針を文書化し、店頭掲示とスタッフ全員への周知で明確にする

  2. 記録・エスカレーション層:誰が、いつ、何を受けたかを記録し、店長・本部へ即座に共有される動線

  3. メンタルケア層:被害を受けたスタッフへの配置転換、相談窓口、必要なら医療・法務へのアクセス

この3層のどこかが欠けている店舗では、義務化対応をやったつもりでも、離職は止まらない。

場当たり対応でもなく、過剰な武装でもなく ― 第三の道

「スタッフを守る」ことと「お客様を大切にする」ことは、対立しない。ここの本質を見誤ると、経営判断を大きく誤る。

一部の経営者から「カスハラ対策を強化すると、正当なクレームまで抑圧してしまうのではないか」という懸念を聞く。その直感は、半分は正しい。だが、半分は誤っている。

クレームとカスハラの違いは、「要求内容の正当性」と「手段・態様の相当性」の2軸で判断する。

料理に髪の毛が入っていて返金を求めるのは正当なクレーム。返金に応じたうえで「土下座して謝れ」と要求するのがカスハラ。要求の中身ではなく、その実現手段が社会通念を超えているかどうかで線を引く。

この線引きを現場任せにしないことが、経営者の仕事だ。

そして、ここで活きるのが「労務という横軸」×「業種・業界という縦軸」の発想である。労務管理のセオリー(安全配慮義務、記録保存、相談体制)という横軸に、飲食業特有の事情(深夜営業、アルコール、少人数オペレーション、SNS晒しリスク)という縦軸を掛け合わせた対策でなければ、機能しない。

厚労省の汎用マニュアルをそのままコピーしても、深夜のワンオペ居酒屋では使えない。逆に、現場の勘だけで運用しても、法的義務の要件を満たさない。縦軸と横軸を掛け合わせた、自店に合った仕組みを設計することが、ジャック・ウェルチの言う「選択と集中」の本質ではないだろうか。すべてのカスハラに100点で対応するのではなく、自店で発生確率の高い類型に経営資源を集中させる、という発想だ。

お得な情報 ― 今動けば、コストを抑えて義務化対応が可能

ここで、お得な情報を一つお伝えしたい。

施行までまだ時間がある今のうちに、公的資料をベースに自店用マニュアルを整備するのが、最もコストパフォーマンスの高い選択だ。 以下の3つの公式資料は、いずれも無料でダウンロードできる。

飲食店経営者が今すぐ入手すべき公的資料

資料名

発行元

公式URL

飲食店向けカスタマーハラスメント対策ガイドライン(詳細版・ダイジェスト版・7類型対応例動画)

農林水産省(2026年2月)

https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gaisyoku/kasuhara_taisaku.html

カスタマー・ハラスメント防止のための各団体共通マニュアル(業界マニュアル作成のための手引)

東京都(2025年3月)

https://www.hataraku.metro.tokyo.lg.jp/plan/kasuharamanual/index.html

カスタマーハラスメント対策企業マニュアル・リーフレット・ポスター(ハラスメント対策総合情報サイト「あかるい職場応援団」内)

厚生労働省

https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/customer_hara_index

特に農水省のガイドラインには、7類型ごとに4分程度の対応例動画が付属している。これをそのままスタッフ研修教材として使えば、研修コストをほぼゼロに抑えられる。東京都の共通マニュアルはWord版も提供されており、自店仕様へのカスタマイズが容易だ。

施行直前になってから駆け込みで外部コンサルに数十万円払う経営者と、今から公的資料を活用して内製化する経営者。1年後、どちらが優位に立っているかは明らかだろう。


2026年10月までに、飲食店が確認すべき7項目

最後に、明快な助言として、自店の準備状況を確認いただきたい。

  • ①方針文書:カスハラに屈しない姿勢を明文化し、店頭・バックヤードに掲示しているか

  • ②判断基準:正当なクレームとカスハラの線引き基準を、店長・スタッフが共有できているか

  • ③対応フロー:発生時の初動(複数人対応、記録、エスカレーション)が明確か

  • ④記録の仕組み:日時、対応者、内容、顧客特徴を残す手段(紙・POS・チャット)が決まっているか

  • ⑤相談窓口:被害スタッフが気軽に相談できる内部窓口を設置しているか

  • ⑥研修実施:農水省ガイドラインの対応例動画などを活用した研修を年1回以上実施しているか

  • ⑦DXによる接点設計:セルフオーダー、モバイル決済等、カスハラが起きにくい接客設計を検討しているか

この7項目にチェックが入らない箇所があるなら、それが自店のリスク領域だ。


スタッフの尊厳を守ることは、店の未来を守ること

「うちの常連さんだから、まあ仕方ない」

この一言で、あなたの店から静かに辞めていったスタッフの背中を、もう見たくはないだろう。

カスハラ対策は、単なる法令対応ではない。「このお店は、スタッフを大切にする経営者が運営している」というメッセージを、店内外に発信する経営戦略である。そしてそのメッセージは、求人広告の百倍の説得力で、次の人材を呼び寄せる。

2026年10月まで、あと半年足らず。動き出すなら、今だ。


本コラムについてのご相談、自店のカスハラ対応フロー構築、スタッフ研修のご依頼は、社会保険労務士法人CSSまでお問い合わせください。労務という横軸と飲食業という縦軸を掛け合わせた、実践的な助言をお届けします。