飲食店ではしか集団感染「食中毒対策はやっている」では守れない領域がある
2026.06.08

2026年3月、新宿区の同じ飲食店に勤務する20代の男性従業員9人が、はしか(麻しん)に集団感染したと東京都が発表した(東京都・NHK報道、2026年3月17日)。全員に海外渡航歴はなかった。
「うちは食中毒対策はやっている」という直感は、正しいと思う。HACCPに沿った衛生管理は、もはや飲食店の前提条件だ。
だが、はしか・インフルエンザ・新型コロナといった呼吸器系感染症の「発症時の初動ルール」を就業規則に落とし込んでいる飲食店は、私の肌感覚では1割もない。これは氷山の一角だ。本当の問題は、感染症対応が単なる衛生問題ではなく、休業手当・自宅待機指示・有給休暇といった労務リスクと一体だと理解されていない点にある。

本記事の結論
飲食店における感染症対応は、感染症法だけの話ではない。発熱時の自宅待機指示が「業務命令」なのか「本人の任意休業」なのかで、賃金の支払い義務が変わる。この線引きを就業規則に明記していない店舗は、感染症の波が来るたびに場当たり的な判断を迫られ、休業手当の支払い漏れや、逆に過大な人件費負担を抱え込むリスクを負う。労務という横軸と、飲食業という縦軸を掛け合わせた設計が必要だ。
「感染症法」と「労働基準法」の二重構造を理解する
まず押さえるべきは、感染症対応には2つの異なる法律が関わるという事実だ。
感染症法上、行政が出勤停止を命じられるのは限られた感染症だけ
感染症法では、危険度に応じて1類から5類まで分類されている。都道府県知事が就業制限を命じられるのは、1類・2類・3類・新型インフルエンザ等感染症に限られる(感染症法18条、厚生労働省)。
感染症 | 分類 | 行政の就業制限 |
|---|---|---|
エボラ出血熱・ペスト | 1類 | あり |
結核・SARS | 2類 | あり |
腸管出血性大腸菌(O157など) | 3類 | あり |
季節性インフルエンザ | 5類 | なし |
麻しん(はしか) | 5類 | なし |
新型コロナウイルス感染症 | 5類 | なし(2023年5月以降) |
ここで肌感覚でご存じのことと思うが、飲食店オーナーが最も頻繁に直面するインフルエンザ・コロナ・はしかは、いずれも行政命令としての出勤停止が出ない。つまり「休ませるかどうか」は会社の判断に委ねられている。

学校保健安全法は「学校だけ」のルール
麻しんは学校保健安全法施行規則で「解熱した後3日を経過するまで」出席停止とされている(文部科学省)。だが、これはあくまで学校での基準だ。一般の労働者に対して一律の出勤停止義務を定めた法律はない。
つまり、はしかに感染した従業員を何日休ませるかは、会社が自社の就業規則で定めるしかない。ここに、多くの飲食店が抱えるリスクの源泉がある。
自宅待機指示と休業手当──労働基準法26条の運用が分かれ目
ここから先が、本記事の本質だ。
労働基準法26条は、使用者の責に帰すべき事由による休業の場合、使用者は休業期間中、平均賃金の100分の60以上の手当を支払わなければならないと定めている(厚生労働省)。

問題は、「感染症を理由とした自宅待機」がこの「使用者の責に帰すべき事由」に当たるかどうかだ。厚生労働省はコロナ禍におけるQ&Aで、概ね次のような整理を示してきた。
パターン1:感染が確定している従業員を休ませる
本人が発症し医師の診断を受けている場合、本人が労務提供できない状態なので、原則として休業手当の支払い義務はない。賃金は無給扱いとし、本人の有給休暇や傷病手当金(健康保険)の対象として処理する。
パターン2:発熱症状はあるが感染は未確定の従業員を、会社判断で休ませる
これが最も判断を誤りやすい場面だ。厚生労働省は、「発熱などの症状があることのみをもって、一律に労働者に休んでいただく措置をとる場合」は、使用者の責に帰すべき事由に当たり休業手当を支払う必要があるとの見解を示している(厚労省「新型コロナウイルスに関するQ&A」、企業向け)。
つまり、就業規則に明確な根拠がないまま「37.5度以上は帰宅」と運用してしまうと、賃金保障の義務だけが発生する構造になる。
パターン3:濃厚接触者や同僚に感染者が出た従業員を、会社判断で休ませる
本人に症状がなく労務提供は可能だが、感染拡大予防のために休ませるケースだ。これも原則として「使用者の責に帰すべき事由」とされ、休業手当の対象になる可能性が高い。
このパターン2と3の落とし穴は、私がクライアントデータから導いている、仮説と検証に基づいた実感だ。「とにかく休ませた方が安全」という善意の判断が、後になって未払い賃金の請求につながる事例は、決して珍しくない。
就業規則に落とし込むべき4つの条項
場当たり的な対応を続ける限り、感染症の波が来るたびに同じリスクを抱える。第三の道は、就業規則と運用マニュアルの整備、すなわち労務のDX化だ。
最低限、以下の4点を就業規則または感染症対応規程に明記したい。
検温と健康申告のルール:出勤前の検温義務、申告フォーマット、申告内容の保管期間
業務命令としての自宅待機の根拠条項:「会社は感染症拡大防止のため、従業員に自宅待機を命じることがある」という明文規定
自宅待機中の賃金取扱い:業務命令による待機(休業手当の対象)と、本人の任意休業(無給または有給休暇)の区別
復帰基準:医師の診断書または症状消失後の経過日数(麻しんなら解熱後3日が一つの目安)

特に重要なのは、3つ目の賃金取扱いを規程として事前に定めておくことだ。これがなければ、毎回の感染症発生時に「今回はどうするか」を経営者の裁量で決めることになり、従業員ごとに対応がブレる原因になる。
飲食店の経営者が今すぐ確認すべきチェックリスト
就業規則に「感染症」「自宅待機」「業務命令による休業」の条文があるか
発熱時の対応フロー(誰が判断し、誰に連絡し、何日休むか)が文書化されているか
自宅待機を命じた場合の賃金計算ルールが、給与計算担当者と共有されているか
過去1年以内に、感染症を理由に従業員を休ませた事例について、休業手当の要否を検証したか
麻しん・風しんの抗体保有状況について、採用時または入社後に確認する仕組みがあるか

最後のチェック項目は、特に若い従業員を多く雇用する飲食店にとって重要だ。1990年から2000年代生まれの世代は、麻しん風しん混合(MR)ワクチンの定期接種制度が変遷した時期にあたり、抗体保有率が世代によってばらつく。これも縦軸(飲食業の従業員構成)と横軸(労務リスク)を掛け合わせて見えてくる、お得な情報の一つだ。
よくある質問(FAQ)
Q1. はしかに感染した従業員を会社判断で休ませる場合、休業手当の支払いは必要か。
本人が発症し労務提供ができない状態であれば、原則として休業手当は不要だ。無給扱いとし、本人の有給休暇申請または健康保険の傷病手当金で対応する。ただし、症状が軽快した後も会社判断で休ませる場合は、使用者の責に帰すべき事由として休業手当の対象になる可能性がある。
Q2. 発熱のみで感染が未確定の従業員を帰宅させた場合、その日の賃金はどうなるか。
会社が一律に「発熱者は帰宅」と判断した場合、厚生労働省の見解では使用者の責に帰すべき事由に該当し、平均賃金の60%以上の休業手当を支払う必要がある。就業規則に「健康確保のため業務命令で自宅待機を命じる」旨の規定を置いた上で運用するのが基本だ。
Q3. 飲食店ではしかが集団発生した場合、店舗を休業させたら従業員の賃金はどうなるか。
会社の経営判断による店舗休業は、原則として労働基準法26条の使用者の責に帰すべき事由に該当し、休業手当の対象となる。一方、保健所からの営業停止命令など外部要因による休業の場合は、不可抗力として休業手当の支払い義務が発生しないケースもある。判断は個別具体的になるため、顧問社労士への相談が望ましい。
Q4. 就業規則に感染症対応の条文がない飲食店は、どこから手をつければよいか。
まず、感染症対応規程(または就業規則の感染症条項)の整備が出発点だ。検温ルール、自宅待機の業務命令根拠、待機中の賃金取扱い、復帰基準の4点を最低限明記する。あわせて、健康保険の傷病手当金や、感染症関連で活用可能な助成金の確認も並行して進めたい。
参考にした情報源
本記事の作成にあたり、以下の一次情報源を参照した。最新の情報は各リンク先で確認されたい。
新宿区ではしか集団感染 同じ飲食店、20代の従業員9人(東京新聞、最終確認日:2026年5月21日)
東京 新宿区 飲食店勤務の9人 はしか感染 海外渡航歴なし(NHK、最終確認日:2026年5月21日)
類型から探す(感染症法)(厚生労働省、最終確認日:2026年5月21日)
新型コロナウイルスに関するQ&A(企業の方向け)(厚生労働省、最終確認日:2026年5月21日)
学校における麻しん対策ガイドライン(国立感染症研究所・文部科学省・厚生労働省、最終確認日:2026年5月21日)
労働法の基礎講座 第31回 休業手当(厚生労働省労働基準局、最終確認日:2026年5月21日)
まとめ──食中毒対策の延長線上に、労務リスクへの備えを
新宿の飲食店で起きたはしか集団感染は、決して特殊な事例ではない。麻しん・インフルエンザ・コロナといった呼吸器系感染症は、いずれも行政命令としての就業制限が出ない領域で、会社の判断に賃金リスクを負わせる構造になっている。
「食中毒対策はやっている」という直感は正しい。だがその先に、感染症対応を労務リスク管理として就業規則に落とし込むという、もう一段の備えが必要ではないだろうか。場当たり的な判断ではなく、仮説と検証に基づいて事前に設計しておく。それが、感染症の波が繰り返し来る飲食業において、経営者と従業員の双方を守る明快な助言だ。
就業規則の感染症条項の整備や、自宅待機指示と休業手当の運用ルール策定については、労務相談でご相談いただきたい。あわせて、自宅待機が発生した際の給与計算代行についても、業務命令と任意休業の区別をシステム上で正確に処理する仕組みをご提供している。
社会保険労務士法人CSS代表・内藤秀和


